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500円札とおまわりさん


小学3年生になってまもなくだった。
通りを歩いていたら、
少しくたびれた500円札が落ちているのを見つけた。




3年生の私は、10円玉を拾ってさえ、
そのまま自分のポケットに入れることはなかったので、
500円札に仰天した。


高額だった。



少し離れた交番へ行き、
胸をどきどきさせながらおまわりさんに手渡した。


中年の、
(だったと思う。
当時の私には、
25歳以上40歳くらいまでの歳は判別がつきにくかった。
男性は「おにいさん」「おじさん」「おじいさん」の3択しかなかった)


おまわりさんは、
「半年たって落とし主が出なかったら、
あなたのものになるからね」
と、優しい声でいった。


わが家は貧しかった。
その年のクリスマスが近づいたころ、
私は、あれから半年がとっくに過ぎているのに気づいた。



おまわりさんからの連絡はない。
考えてみると、名前も住所も聞かれなかった。


名前や住所がわからないから連絡がこないのかもしれない、
そうおもいながら、
なぜかあの交番に行くのが嫌だった。


交番の近くにさえ、行きたくなかった。


近くを通る用事があるときは、
わざわざ遠回りになる、ほかの道を選んだ。

あの500円があったら買えたかもしれないもののことを、
ときどき空想した。
空想して、それが手に入らないことに落胆した。


子どもながら、私は無力感にとらえられた。


お巡りさんが猫ばばしちゃったのだとは、
うすうす気づいたが、それでもまだ信じられなかった。
おまわりさんがそんなことをするなんて・・・。


いや、こころのどこかでは、知っていた。
おとなは悪いことをすると。


それでも、
私に催促されたら、
おまわりさんはきっと恥ずかしい思いをする・・・。


それが、いやだった。
まるで自分が恥ずかしいことをしたときのような羞恥心が、
幼い心に反射していた。



世の中には、、
羞恥心なんて、
生まれつきもち合わせない人間がいないわけじゃないと知って、
ずいぶん久しい。



     すみちゃん 50代・東京